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2011
ぢたま某先生 インタビュー
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ぢたま某(以下某に○印は省略)先生に初めてお目にかかったのは、とある出版社恒例のお花見会。
「お弁当男子」とまでは行かないが、オカズを作って参加してみたところ、なんと出席者名簿に「ぢたま某」先生の名前が!ヽ(*°ω°)ノ



エロマンガ時代から好きだった作家さんで、一般でもその「エロ精神」を忘れず、常に読者への妄想を提供し続けてくれる先生!

この偶然は「私に神が与えた啓示!」に違いないととっさにインタビューオファーを行ってしまいました(^_^;



今年の春に行われた某出版社のお花見


嬉しい事に即答で「私でよければ」と快諾してくれた先生。後で聞いたら、私の同人誌を読んでくれていたとのこと…感極まりである!

というわけで、今回は先生のお仕事場のある駅近くのカラオケ屋でのインタビューに加え、お仕事場も近いという事からやや恒例になった「お仕事場訪問企画!」も同時に決行!!



それにしても、先生のほぼ全ての作品と掲載雑誌等をカートいっぱいに詰めて、まるで海外旅行に行くかのような荷物で埼玉に乗り込むのにはさすがに疲れた…。10月の雨の強い日の事であった。


ゲストプロフィール
ぢたま某(ぢたま ぼう)

コミックドルフィン(司書房) 1994年6月号にて「好きだから、好きだけど」でデビュー。エロマンガ家としては「尿作家」として一時代を築くとともに、メイド文化を一般に広げた「まほろまてぃっく」の原画を担当し、多くの作品がアニメ化される人気作家に! 現在、二児(娘)の父。


■「某」は、もともとは「なにがし」だった!

稀見 :今日はお忙しい中、わざわざインタビューに答えていただきありがとうございます。よろしくお願いいたします。
ぢたま:よろしくお願いいたします。
稀見 :これを聞かないとインタビューが始まった感じがしないので、まずはペンネームの由来からお願いします。

というか、もうこれは多くの人が知っていることなので、今さら感はあるんですが(笑)

ま~本名のもじり、というのはわかるんですが、なぜ「ぢ」なのか? と、なぜ「某」(ぼう)という部分も含めてお願いいたします。
ぢたま:「ぢたま」の方は、字面的に「ぢ」のほうが自分に合っているかな~というのも、おもしろみがあるかなと思ったからですね。あと、自分が「痔」だったからというのもあります(笑)
稀見 :そんな昔から痔だったんですか??
ぢたま:物心ついた頃から便秘症で、トイレに行くといつも流れないくらい巨大なモノが出て、しかも和式の便座だとずっーと流れないでいらっしゃるんですね(笑)

で、親に怒られて、割り箸で砕いて流すんですが、それでも奥の方に刺さってるんです(^_^;
稀見 :あ~似たようなエピソードが、カバー下にも描かれてましたね?

先生の人間離れしたウ○コが惨事を引き起こす!


ぢたま:ああ~それは別の話ですが、そんな感じで、その割り箸が折れるぐらい硬かったですね~(^_^;

たぶん、よく出血してたので頭の片隅に「ぢ」と言う文字が残っていたんだと思います。カバー下(単行本:気分^2 1巻)の話ですが、この頃は猫玄先生と同居していまして、アシスタントの天狗さまも近所に住んでいてよく一緒にいたんですよ。



そんなある日、自分だけ留守番しているときにトイレに行って、この惨事が起きていたんです(笑)

ザバ~ってあふれて…。運悪く、拭いている途中に二人が帰ってきまして「な、なにやってるんだ!」ってなったんです。
稀見 :それは大惨事ですね!!
ぢたま:猫玄先生に関してはもっと酷いことがあって、まだ学生の頃に同人誌の入稿で関東に来てたんですが、その時にしょっちゅう猫玄邸に転がり込んでたんですよ。で、やっぱりそこでもこんな感じになって(^_^;
で、そのまま置き去りにして帰ったら電話がかかってきて「このウンコ何日居るんだよ~!」って。
稀見 :だから「じ」ではなく「ぢ」なんですね(笑)

最近は文字変換ソフトが妙に賢いので「ぢたま」って打とうとしたら、「それは『じ』の間違いではありませんか?」って、毎回言ってくるんですよ(^_^; いや~ATOKなんですが、エロマンガ家辞書も載せないとダメですね!!
ぢたま:ローマ字表記だとちゃんと「DI」なんですけどね。その代わり、「ぢだま」という風に、「だ」(濁音)にする人はたまに居ますね。おそらく「あずきちゃん」の影響もあるのではないかと(笑)

「あずきちゃん」(画:木村千歌)に出てくるお友達の「じだま」




「某」のほうですが、こっちの方が謎ですよね。もともとアニメーター志望だったところからなんですけど、その当時「くりぃむれもん」シリーズの「ポップチェイサー
というアニメがありまして、それには有名なアニメーターの方がこぞって参加されていたんです。

一応成人指定ということもあって、エンディングのクレジットにみんな自分の名前を1文字2文字もじって書かれていたんですが、その中に「土器手 某」って書かれた名前があって、明らかに「土器手 司(どきて つかさ)」さんなんですよね。

ただでさえ土器手という名字が珍しいのに、「そこまで徹底してやるか!」という、潔いのか悪いのかよくわからない感じが好きでツボにはまって、この「某(なにがし)」という字を何かに使いたいな~って思っていたんです。

「くりぃむれもん」ポップチェイサーのクレジット



それでペンネームを作るときに、この「某(なにがし)」を使おうと思って付けたんですが、まわりから「これ”ぼう”じゃないの?」って言われて、本当は「なにがし」のつもりだったんですけど、”ぼう”の方が面白いからって「某(ぼう)」になったんです(^_^;
稀見 :じゃ、もともとは「なにがし」だったのに、「ぼう」になったのは外圧が原因だったんですね(笑)
ぢたま:それと○が付いてるのも、アニメーターさんがイラスト描いたり、設定資料を描いたりするときに、自分の名前を四角とか丸とかで囲むことがよくあって、それで自分も付けたいと思ったんです。ただのミーハーです(笑)

最初は四角だったりしたんですけど面倒くさいので丸に落ち着きました(^_^;

そうやって丸囲みを付けているうちに編集さんが「あれは、丸の中に”某”って入っているんだよね?」って、勝手に解釈されて付くようになったんです。本当はサインなんかを書くときだけに付いていたんですが…、本来、どっちでもよかったんです。
稀見 :なるほど、短いペンネームの中にもいろいろな意味合いが含まれていたんですね~。
ぢたま:まさかの「外圧」だったんです(笑)


■いや~デビュー当時からしんどかったな~

稀見 :デビューに至るまでに経緯を教えていただけますか?

デビュー作は「コミックドルフィン 1994年6月号」なんですが、ほぼ同時期に「快楽天 1994年9月号」でも描かれていますよね?

コミックドルフィン(司書房)1994年6月号


「快楽天」(ワニマガジン社)1994年9月創刊号


ぢたま:本当は快楽天の方が先だった可能性があったんです。もともとプロになりたいと思って同人活動をしていたんですよ。青田買いをされてやろう!という感じで(^_^;



大学の2年ぐらいから同人活動を始めて…ま、5年生までやっていたんですが(笑)、3年生ぐらいの頃から出版社の方に声をかけていただく事がちょこちょこありまして。自分の中ではデビュー自体はできる自信はあったんですが、いつどこで?みたいな事を考えていたんです。



その時に、今はもうない雑誌の編集さんに声をかけていただいて、ネームのやり取りなどをしていたんです。でも、その時に担当さんが辞めちゃって編集長さんに引き継がれたんですけど、FAXしても全然返事がなくて電話したんですよ。そしたら「このネタ使えないよ」って一蹴されて…。ご時世的にいろいろNGがあったので、前担当といろいろ打ち合わせつつ進めていたんですが、それを一蹴されて、しかも猛烈に態度が悪かったので、もう○○とは絶対仕事しねぇ!!
\(*`∧´)/
稀見 :ああ~だから、この時期○○さんの所での仕事がないんですね。この時期では結構大手だったのに~。
ぢたま:そうしているうちに、他にもいろいろコネができて、その1つが「ワニマガジン」だったんです。でも、その頃はまだ「快楽天」ではなく「コミックライジン」という雑誌だったので、そこでやろうという話になったんです。


卒業直前の冬コミでそこまで話をして、こっちから連絡するから~、みたいな事になってたんですけど、待てど暮らせど連絡がなくて…「あれ、かつがれたのかな?」って思っているうちに卒業になってしまいまして。でも東京に出たら何か仕事があるかな~と思ってとりあえず関東圏に出てきて、その時に猫玄先生と同居し始めたんです。



そうして埼玉に越してきてから司書房を紹介してもらったんですけど、特に描くかどうか決めてなかったのが、いきなり「じゃ、いつ載せますか?」みたいな話になって「あれ、やるって言った覚えないけど、まぁ仕事になるんだったらいいや~(^_^;」って感じでお仕事を頂いたんです。
稀見 :そのお仕事を紹介してくれたのが、猫玄先生?
ぢたま:そうですね、その時に「コミック Rats!」で描かれていたので。



「コミックラッツ」(司書房)


「コミックライジン」(ワニマガジン社)


そんな訳で、司でデビューしたんですけど、その後に思わぬところから連絡があって…。
当時私が住んでいた場所のまわりにも多くの作家さんが住んでいまして、その中に陽気婢先生もいらっしゃったんですが、陽気婢先生経由で「ワニの人が、ぢたまさんの実家と連絡が取れないんですけど…って言われたんですが…」って聞いて。

当時、陽気婢先生はワニマガジンで描かれていましたから、それで詳しく聞いてみると、どうやら実家の電話番号の控えを間違えていたって事がわかったんです。
稀見 :なんと初歩的なミス!!
ぢたま:しょ~もないオチですよ(^_^; で、こっちから連絡したら、「あ、すいませんでした~、ライジン終わっちゃうんで、今度快楽天でお願いします~」って言われて「ハイ…」って(笑)
稀見 :ということは、司でデビューはしたけれど、もし電話番号の控えが間違っていなければ、ワニマガジンの方で先にデビューしていた可能性があったわけですね(笑)
ぢたま:しかも、電話番号1カ所じゃなくて何カ所も間違っていたんですよ。どうやったらそんなミスするんだって(^_^;
稀見 :いや~そんな裏話があったんですね。「快楽天」の創刊号のラインナップにいきなり選ばれているので、もの凄く期待されていたんだと思っていましたが、いや、もちろん期待はされていたとは思いますが、満を持してというわけではなく、単に連絡が付かなくて遅れたという(笑)
ぢたま:でもいきなり仕事2本になっちゃって、てんやわんやでしたよ~。だいたい月に1.5本ぐらいのペースだったと思います。で、さらにありがたいことに、ドルフィンの方のマンガを読んでくれた白泉社のアニマルの編集者の方が連絡をくれたんです。
稀見 :ハイハイ、それも聞こうと思ってたんですよ。エロじゃなく、いきなり一般誌ですからね~!
ぢたま:ドルフィンの連載3話目あたりを描いている時に、いきなり電話がかかってきたんですよ…、というか何で電話番号を知っている?って思いましたが(笑)

で、話を聞いたら、ヤングアニマルの方で、主にエロで活躍されている作家さんを集めて、ちょっとエッチなマンガをラインナップしていこうという企画だったんです。自分の場合は全3話で考えていて、人気があったらそのまま続けていこう!ってなったんです。

一般デビュー作「みかん月夜はゆずの夢




でも、その1話目を描いた段階で、その企画自体が頓挫しちゃったんです。結局2話で終了ですからって話になりまして。
稀見 :もう企画全体がダメになったんですか…。
ぢたま:そうです、ほとんどの作家さんが2話で終了になりました(^_^;

当時は、司書房が水道橋にあって隣の飯田橋が白泉社だったので、司に原稿上げた足で飯田橋に寄っていって、打ち合わせに来ました~という感じでした。
稀見 :でも、先生のデビューから2話目までの作品を見て、すぐにオファーしてくるなんて、特に当時ではあまり聞かない話ですよね。まだ、今のようにエロマンガ家さんが一般誌の方でも平行して描くという事が少なかった時代ですからね。

でも、一般誌も含めて、ほんとにデビューしたあたりがドタバタしてる感じですね。
ぢたま:いや~デビュー当時からしんどかったな~と(^_^;
稀見 :という事は、もう大学を卒業したら就職はしないで、マンガ家になろうと決めていた?
ぢたま:決めてました。もともとアニメーター志望だったんですが、性格的に2,3年で辞めちゃうだろうな~と思っていたので…。
稀見 :それは、アニメーターさんの仕事内容などをいろいろ知ってそう感じられたんですか?
ぢたま:いろいろあるんですが、1つは今でも言われているんですが”収入の問題”ですね。

あと自分が同じ事を繰り返すのが苦手なんですよ。絵を描く仕事を続けるためには絵とは違う作業も必要だと。そしてアニメーターの”絵を描き続ける”という部分だけがルーチンワーク的に見えてしまい、自分の性格では無理だろうなって諦めてしまいました。



もちろん、動きを試行錯誤して産み出していく非常にクリエイティブな作業で、そこに憧れていたのですから、単純に繰り返すだけの仕事ではないとはわかってますが、その時は何故かそう感じてしまったんですね。
稀見 :仕事の方向性として、マンガ家とアニメーターがあったら、自分はマンガ家の方が向いているな~と感じられたんですね。
ぢたま:最初はマンガ自体も自分には無理だなって思っていたんです。話考えて、コマ割ってってなんて、そんなに誰にでもできるもんじゃないって。でも、漫研に入って描いてみたら、何となくそれっぽい形にはなるもんなんだなって思ったんです。

で、描いているうちに、マンガ意外とできそうになってきた!ってなりまして。その時にマンガ1本に絞って、そっちに進んだんだと思います。

自分では結構考えてきたつもりなんですが、こうやってインタビュー受けて実際に口に出して言ってみると、ものすごい適当に生きてますね(笑)
稀見 :では、なぜエロだったんですか?
ぢたま:いや、エロが好きだったんです(笑)
稀見 :青田買いを狙っていたのも、基本エロですよね。一般のマンガ家を目指さないで、エロ1本だったんですか?
ぢたま:そうですね、でも、少女マンガも好きで「りぼん」(集英社)とかもよく読んでいた「りぼんっ子」でもあったんです。



なので、少女マンガでもデビューできたらいいな~なんて邪な事を考えた時期もありましたが、少女マンガのデビューの平均年齢って凄く若いじゃないですか。20を越えた男がどうやっても入選できないだろうと思って、もっと現実的なところを見ようとエロ一本を目指したんです。
稀見 :自分にとって一番現実的なマンガのジャンルが「エロ」だったと、何より好きだし、自分の本流だと!
ぢたま:本質的にエロを求めていましたし、そうじゃない方向を選んでも破綻するだろうとは思いますから、今となってはエロを選んで正解でしたね。

でも、あんまりノーマルなエロシーンを求めていたわけじゃなくて、昔の同人誌や、今でもそうなんですが(笑)ずーっとおしっこしてるシーンだったり、レズシーンが多かったりと、そういう趣向があったんです。

けれど商業ではやっぱり男女の絡みを求められるじゃないですか?

なので、いきなり「え!?ほとんど描いたことないけど、どうしよう??」って感じになりましたけどね(^_^;
稀見 :でも、デビュー作はいきなりの男女の絡みで「連載!」じゃないですか? これは、どういう経緯だったんですか?

デビュー作「好きだから、好きだけど」


ぢたま:最初は読みきりの予定だったんですが、話が終わらなくて…(笑)
で、延ばしていいですか?って聞いたら「いいっすよ~」って、司のああいう懐の深さはいいですよね~(^_^;



で、たぶん3話ぐらいで終わるかな~って思ってたら、意外に長く続いちゃったと…。
稀見 :ここまで来たら単行本サイズまで描こうと?
ぢたま:いや、それも考えてなくて、ある日編集長から電話がかかってきて「単行本にしますか?」ってい言うので「でも、ちょっと破綻した部分もあるから、まずくないっすか?」「じゃやめます?」「いや、します…(^_^;」って感じで…。
稀見 :司、フランクすぎる(;゚∀゚)=3 でも、結局凄く描き直して単行本になったわけですよね。
ぢたま:そうですね、30Pぐらい削って、60Pぐらい描き足してますね。
稀見 :いきなり連載、自由な編集という、司の懐の深い愛情の中で初単行本が出せたんですね。
ぢたま:いや~惜しい会社をなくしました(笑)
稀見 :でも、その初単行本にはまだもう一つ大きなネタが…。(カバーをめくる)
ぢたま:あ~~これは自分とアシスタントの天狗さまですね。ああ~ひどいな~~(^_^;


初単行本の「好きだから、好きだけど」


カバー下の顔出しレポート


これ描いたのは月角っていうんですけど、今は何をしているわからないんですが…、彼に2ページ描いてよ!って言って返ってきたのがこれで(笑)
稀見 :描いてよと言うより、実録になってるんですが(^_^;
ぢたま:ある日突然うちに来て、「じゃ写真撮るから!」「え、描くって言ったじゃん!?」と言う感じで、こんなカバーができてしまったんです。
稀見 :でも、それを載せてもOKだったんですか? 編集的にも先生的にも?
ぢたま:いや~悔しかったけど、面白かったんですよ(笑)こういうバカなノリが好きなので…。
でもよく見ると若いな~~、25歳ぐらいかな? 確かにこの頃は丸メガネだったかも。
稀見 :昔は、女流作家さんで自分のコスプレ写真や、ヌード写真まで載せていた作家さんもいましたけどね。ある意味いい時代だったんですね~(笑)


■10点中の2点だと思ったら、100点中だったんです!

稀見 :影響を受けた作家さんは、さっきの話からいうとやっぱり少女マンガ家さんが多い感じでしょうか?
ぢたま:そうですね、りぼんは姉の影響でよく読んでいました。いつから読んでたかはよく覚えてないんですが、たぶん小学校3年の頃からは読んでいたと思います。小田空先生の『空くんの手紙』を楽しみにしてて、単行本も買ってましたから。

池野恋先生や萩岩睦美先生のデビュー作も雑誌で読んでるはずです。

その後に水沢めぐみ先生で、一番ハマったというか、ドストライクだったと思いますね!
「ポニーテール白書」というマンガがあって、それがもう死ぬほど好きで(^_^;
もう、心のバイブルですね! ポニーテール好きになったのは間違いなくここだな、と…(笑)

「空くんの手紙」(著:小田空)


「ポニーテール白書」(著:水沢めぐみ)


稀見 :ハイハイ、私の中でも完全に繋がりました!! 確かに「水沢めぐみ先生」は入ってる気がしていたんですよ(^_^;
ぢたま:さんざん模写したので、影響を受けている部分はあると思います。でも完全な模写をしても意味ないですし、当然アレンジしてはいるんですが、その遍歴がいろいろと出てはいますね。



(雑誌を見つつ)このあたりはたぶん岡野史佳先生の瞳の影響も受けてますね。岡野先生の瞳のハイライトって、四角く大きくぽこぽこって入るんですよ~(^_^;



「太陽の下でまっている」(著:岡野史佳)


話の影響としては、昔からとにかく姉弟、兄妹ものが異常に好きで、それは後書きなどにもよく書いていますが、谷川史子先生の影響が大きいと思います。
稀見 :せっかく、その話題が出たのでそっちに踏み込んでお話を聞きましょう!!
ぢたま:というと?
稀見 :ぢたま某先生の代名詞と言えば「尿プレイ」(笑)を最初に浮かべる方が多いとは思うんですが、なんて言うんでしょうか…放尿作家?(^_^;

でも、私は先生の作品の一番の本流、根底に流れているテーマは、兄妹、姉弟ものの近親相姦だと思うんですよ。

ま、義兄弟、双子妹、などいろんなパターンはありますが、その2人を基本に、他のキャラが絡んできて世界を作っているという…。ま~読み返してみたら、エロから一般までほぼそうなんですよね~(^_^;
ぢたま:谷川先生の『ちはやぶるおくのほそみち』(単行本「花いちもんめ」収録)は兄と妹というパターンですね。

「花いちもんめ」(著:谷川史子)


自分の場合はリアルに姉が居るので、やっぱりそこは現実が介入してくる部分がありますし、なおのこと兄と妹最高!デビューしたら絶対兄と妹でイイ話を描いてやろう!というところがあったんです。

だから、自分の実力に見合うまで兄×妹ものは控えよう!って思って、デビューしてからすぐはそんなに思い入れがない「姉×弟もの」ばかり描いていたんです。(笑)



でも、やたらと「おねーちゃん」を描いているうちに「ねーちゃんいいな…(;゚∀゚)=3」ってなっちゃったんです(^_^;
稀見 :完全に現実と切り離すことに成功したんですね(笑)
ぢたま:なんか、また1ランク上の世界へ踏み込みましたね(^_^;

少女マンガ以外では学年誌(小学1年生みたいな…)やコロコロとかも読んでましたし、少年マンガも床屋などで読んでました。お小遣いは少なかったので、マンガ雑誌を買うと月の半分のお小遣いが無くなる感じでしたね。あと「ケイブンシャの大百科シリーズ」をが好きで、それを買っちゃうともうお小遣いが残らないという(^_^;



1979年頃の「コロコロコミック」(小学館)


ケイブンシャの大百科シリーズより


そんな生活の中、小学6年くらいに、なぜか持っていたマンガを全部捨てちゃったんですよ。マンガやアニメ関係はもういいや!って思っちゃったんです、なぜか…。
稀見 :早く来た中二病みたいな?
ぢたま:その代わりサッカーばかりやってましたね。

けれど中学に入る直前に「幻魔大戦」(1983年公開)の映画が公開になって、それまで少女マンガを多く読んできてデフォルメされたキャラにすっかり慣れていたので、幻魔大戦の異様にリアルなキャラクターに「な、なんだこれは!?」とカルチャーショックを受けまして!

映画「幻魔大戦」1983年公開


稀見 :もちろん「大友克洋」とか全然知らない時代ですよね?
ぢたま:もちろん知らなかったですね。で、どうしても観たくて親にお金を出してもらって、観に行ったんです。そしたら「これだ!!!」って何かが開眼して!

そこで都合良く「アニメディア」のムックで設定資料がたくさん載っている本が出たので、それを買っていきなり大友模写をし始めたという(^_^;


それまでもマンガ絵は描いていたんですが、全く方向性の違う絵を描き始めましたね。自分の中でいろんなものが錯綜し、葛藤した、そういう時期でした。でもなぜだか「ミンキーモモ」のアニメだけは観てましたね(笑)



「魔法のプリンセス ミンキーモモ」(葦プロダクション)


その後、中学に入ってからは普通にサッカー部に入って、ラジオで洋楽なんかを聴いていた、まっとうな中学生活(笑)を送っていたんですが、サッカー部の中にもアニメ好きみたいのがいまして、そいつがやたらと「ナウシカ」(1984年公開)のモノマネをするようになったんですよ(^_^;



仲間内でビデオソフトを買った奴がいて、それでビデオを何回も見てセリフを覚えたらしくて。それを、サッカーの練習中にずーっとやってるんですよ。僕らは2軍だったのであんまりうるさく言われなく、同好会っぽくやっていたので、それはもう好き放題に。

僕が観てないって言ったら、じゃ観せてやるみたいな話になって「ナウシカ」と当時のOVAの「BIRTH」(1984年発売)を観せられて「アニメって面白いいんだな~」って洗脳されたんです(笑)

OVA「BIRTH」(カナメプロダクション)


稀見 :当時よくあった「洗脳型」のオタク界への階段ですね!
ぢたま:そこで、何か描けるアニメはないのか?って聞かれて、そこでさっきの話に戻るんですが「ミンキーモモ」だけは観ていたので、これは描けるって事で、資料をもらって描いてきたんですよ。

絵心自体はそんなに無かったわけじゃないと思ってたんですが、凄い低い評点をもらったんです(笑)

10点中の2点だと思ったら、100点中だったんです!



そこで、ふざけんなって火が付いたんです。で、ずーっとそこから絵の練習をしてました(^_^;
稀見 :サッカー部で、違うものに火が付いてしまったんですね(笑)
その反骨精神からサッカーではなく、絵のレベルが上がっていったという…。
ぢたま:そいつ同学年のくせに、やたら上から目線ですっごくむかついて(笑)
そうこうやっているうちに中学3年になって、まわりに自分より画力のある奴が居なくなったという…。
稀見 :伝説ですね(笑)
ぢたま:その頃からですね、アニメーターを意識し始めたのは。なので、親にお願いをして「ビデオデッキ
を買ってくださいと…、中学3年の頃ですね!
稀見 :まだ一家に1台の時代でもなかったから、結構高いお買い物ですよね!
ぢたま:それまではそこそこ成績はよかったので、ビデオを買っても成績を落とさない、という約束で買ってもらったんです。でも買ったとたん…ドーン!と(笑)絵に描いたような急降下って奴です。



そこでアニメにどっぷりハマって、一番影響を受けたのが、いのまたむつみさんでしたね。OVAの流れで「幻夢戦記レダ」という作品があったんですが、そのアニメのイメージボードや設定資料がアニメ雑誌にたくさん上がってきて、もうそこでビキニアーマーバンザイ、2次元バンザイになっちゃって…。(実はポニーテール好きになった最初のきっかけはレダのヒロイン、朝霧陽子からきているかもしれない…今となっては不明)

OVA「幻夢戦記レダ」


稀見 :ああ~なるほど、それまでどちらかというとアニメバンザイだったのが、そこで当時はまだ言葉はなかったですが「萌バンザイ」に変化したんですね!
ぢたま:アニメの”動き”とは別系統の目覚めでしたね。なんか狂ったように部屋中にポスター貼ったり、生徒手帳に雑誌の切り抜きを入れたり(^_^; いや、ほんと痛い時期でした。
稀見 :いや~その辺は早めに通った方がいいですよ(笑) 
あまりこじらせるとまずいです!
ぢたま:そんな感じで、いのまたむつみ先生と大友克洋先生という全然系統の違う2人の影響を受けた時期でしたね。あと、アニメーターの恩田尚之(おんだなおゆき)さんという方がいらっしゃいまして、その方の影響もありました。その方もリアル指向で…。恩田さんの絵を高校の時にさんざん模写して、自分の絵がだんだん完成してきた感じはあります。
稀見 :という事は、マンガの影響というよりはアニメの方が強い感じですね。
ぢたま:でも、じゃマンガを描こうという段階になった時にどうするか?となって出てきたのが水沢めぐみ先生の絵だったんです。

最初から水沢めぐみ先生の絵だったわけじゃなく、アニメ絵を模写している上で、自分のキャラクターを描こうと思った時にベースにしたのが少女マンガだったという事なんです。結構ぐちゃぐちゃなんですよ(^_^;



絵的にはそんな感じだったんですが、マンガ的(ネームの描き方)にはいろんな人の影響を受けていて、高橋留美子先生のキャラクターのかけ合いとかすごい参考になりましたし、作品で言うと「究極超人あ~る」の凄い変な間の取り方などは影響を受けたりしました。もちろんそのまま使うというわけではなく、こういう間もあるんだな~という部分ですが


■今になって許された感じになりました(笑)

稀見 :エロの原体験、ぢたま先生の場合は特におしっこなんでしょうか? その辺のエピソードなどがありましたら、お願いいたします。
ぢたま:これはほとんど話したことはないんですが、小学校の時にプールを工事していた時期がありまして、そのプールの下に入れたんですよ、まわりのパネルを外して。で、そこに工事現場にありがちな「エロ本」が落ちていたんです。
稀見 :学校の工事現場にエロ本ですか!!
ぢたま:しかも、捨ててあったエロ本が普通のエロ本じゃなくて「SM写真集」ばっかりだったんです。たぶん、「SMスナイパー」系のA5雑誌だったと思うんですが、そういう縛られている写真がたくさん載っているんですよ。で、それを小学生が見るわけですが………(^_^;
稀見 :意味わかりました??(^_^;
ぢたま:いや、よくわからないけど、女の人が縛られていて…。
「なんだかわからないけどエロい!(;゚∀゚)=3」というのが原体験でしたね! 
自分の作品にSMシーンを描くことはほとんどないんですが、大学の時に買いあさったエロ本の大半がSMものでしたね(^_^;
稀見 :やっぱり、小さい頃のトラウマといいますか、三つ子のエロも百までじゃないですが、引きずりますよね~(笑)

で、やっぱりエロ本がたくさん落ちていた時代だったですね~。
ぢたま:中学に入ったときに、やっぱり河原に落ちていたエロ本を持って帰ったんですが、汚れていたのでビニールに入れていたんですね。それを机の引き出しの奥に入れておいたら、ある日、「おまえの机分解して、姉ちゃんの机に換えといたから」って言われて、外に出てみたらバラバラに壊された机の横に、そのビニールも置いてあったんです…orz 「いっそ殺してくれ…」ってこういうときに使うんだ、って思いました(笑)
今は息子は居ない(娘さんが2人居ます)んですが、もし息子がエロ本を持っていても、きっと何も言わないだろうな~と思うので、きっとあの時のオヤジの対応は間違ってなかったんだな~と、今になって許された感じになりました(笑)
稀見 :私も学校の帰りに行った竹やぶに、毎週新刊のエロマンガ雑誌が落ちていたんですよ。ただ濡れていたりしてあまりにも汚かったので、持って帰らないで目に焼き付けて返りましたが、次の週にはまた新刊が(笑)

あれはきっと大人の優しさだったんだな~と、今になってしみじみします(^_^;

稀見理都が毎週通っていた竹やぶがあった!(イメージ写真)


この事も聞いておかないといけませんね。「ロリポップ」ですね。先生の投稿ハガキがたくさん載っているんですよ!
ぢたま:いや~最近荷物箱から発掘して、本棚に並んでますよ(^_^;
稀見 :今日レポートマンガを描いていただく予定の、彩也先生も実は同じ号に載っているという(笑)
でも、今見ると凄いラインナップというか、ここから多くのプロの方が巣立っていってますよね~。

伝説の美少女コミック誌「ロリポップ」(笠倉出版)


「ぢたま先生」の初投稿ハガキ! え、絵柄が!!


ぢたま:うわ~~載ってるよ。死にそう~~(^_^; 

と言うか、この絵は違うんですよ。この次あたりから自分の昔の絵かな~という面影が出てくるんです。この絵だけは全然違っていて、なんでこの絵を送ったのか未だに思い出せないんですよね(^_^;
稀見 :ロリポップを読み始めたのはいつ頃だったんですか?
ぢたま:大学入ってからですね。ロリポップのお茶会みたいなものが名古屋であったんですよ。そこに、同期の奴が行くからおまえも来いって連れていかれたんです。そこで存在を知って、ハガキが載るという事が嬉しくてどんどん投稿していきましたね。

ロリポップ休刊後も「ハーフリータ」「コミックシェイク」などにも送ってましたが、全部休刊しちゃいましたね(^_^;

「ハーフリータ」(松文館)


「COMIC SHAKE」(東京三世社)



■原稿用紙さえ買えないというところもまで追い込まれていたんです

稀見 :先生が、ワニマガジンから、桜桃書房の「夢雅」に移って作品を描かれるぐらいの1999年に、同時期に一般誌で原作付きの「まほろまてぃっく」(1999年連載開始)の連載が開始されます。たぶん、ぢたま某先生の事を、まほろまてぃっくから知ったファンの方も多いんじゃないかと思いますが、この連載が始まった経緯などを教えていただけますか?

「まほろまてぃっく 1巻」(ワニブックス)


ぢたま:そのだいぶ前の年のMacExpoだったと思うんですが…。
稀見 :マックエキスポ!(;゚∀゚)=3
ぢたま:MacExpoの帰りのことなんですけど、コミック・ガムがラジオ番組を持っていて、知り合いが収録に行くっていうので付いていったんです。そこでガムの編集さんに会って名刺交換をしまして。それはそこで終わったんですけど、何年かして先方から電話がかかってきて、「こういう原作があるので、マンガを描かないか?」とお誘いを受けまして。
稀見 :名刺交換しておくもんですね~(笑)


で、始めて原作付きのマンガを描かれたという事で、後書きでも苦悩の弁を述べられていましたが、やっぱり今までと違うやり方にだいぶ戸惑った部分があったという事ですか?
ぢたま:全く同じ視点では見れないですよ。原作者がどんなに面白いと思って書いても、自分の感性ではこうした方がいいんじゃないかという部分がありますから。でもそこは通せないので、原作で書かれている範囲の中で自分なりに面白く演出して描けるかという部分に少なからずストレスを感じていましたね。

自分がこうだ!って言うものを描いていないのに、はたしてそれが読者に伝わっているんだろうか?というのが凄くわからなかったんです。



でも、それでウケていたので、自分の方が特殊だったのかな~と凹んだりしました。細かい部分での違いなんですけどね。
稀見 :でも、答えはわかりませんよね、2バージョン描いてみないことには…。
当時は、先生の描く「まほろまてぃっく」のマンガを読んだ読者から、面白かったという感想をもらった時に、どう反応していいかわからないって、おっしゃられていましたが?
ぢたま:いや~今はもうわりと大人になったので、普通に「ありがとうございます(^。^)」って言いますけどね(^_^;



当時は、そこそこストレートにものを言うタイプだったので、自分に言われてもな~という部分はあったかも知れませんね。でも、逆にそういう割り切りがあったからこそ、アニメのプレッシャーにも耐えられたのかなとは思いますね。私はただの絵描きですから~という。
稀見 :責任を全て背負っているわけではないという、ある種に逃げに使えた部分もあったと…。

「まほろまてぃっく」はそもそも、最初から長期連載として企画されたマンガだったんですか?
ぢたま:いや、倍以上に伸びています。ガムそのものが隔月刊誌だったんですよ。

「月刊コミック ガム」(ワニブックス)


それが連載の1巻目が終わったあたりぐらいから月刊化すると!

最初の約束では月間化しても隔月で描かせて下さいという話だったんですが、月刊で描いてよって事になって、そこで切れて(笑)折衷案として、月刊か最初の2話ぐらいは連続で描いて、その後は描けるペースで…という事になったんです。



でも、やってみたら何となくできちゃったんですが、それでも不安だったので26Pで3回やって1回休む、という変則スケジュールで進めました。これで、6回描けば1巻分溜まるというペースにはなりましたね。



時々思い出すんですけど、その頃はすごくイライラしてましたね~。なぜかというと、収入が激減してたんですよ。アシスタントをやたらと使わなくちゃいけないというのと、隔月になって原稿料も少なくなり、今までの貯金を食いつぶして且つ編集部にお金を借りないと、原稿用紙さえ買えないというところもまで追い込まれていたんです。

こんな状況で続けていけるんだろうか、こんなこと早く終わらせてエロに戻ろうと思ってたんです。
そのあと単行本1巻が出てお金が入ってきてようやく精神が落ち着いてきたんじゃなかったかな(^_^;

A5版単行本の2巻カバー下に、冷蔵庫を購入報告4コマが載ってるんですよ。たぶん、ここらへんだな~と(笑)

ようやく落ち着いて、冷蔵庫を購入!


稀見 :そんなことがあったんですか~。まさに連載貧乏ってやつですよね。

これもちょっと聞きたかったことなんですが、原作付きのマンガを描く場合、作業工程は一般的にはどういう形になるんでしょうか?
ぢたま:原作(原稿用紙)をもらって、それを一度ネームに起こしたものを原作者に見てもらってOKがでれば作画に入る、と言うのが一般的だとは思います。たぶん、どこも同じじゃないですかね。それと、ネーム自体にも編集のチェックは入ります。
稀見 :作業時間的には、丸々24Pだったら24Pを1人で描くのと、原作付きで描くのって、どのぐらい変わるんですか?
ぢたま:難しいんですね、これが…。まほろをやっているときに、このマンガは絵、ストーリーともに凄い詰め込みすぎているんじゃないか?と感じたんですよ。あくまで自分の過去作品との比較ですが…。



それで、まほろが終わったらもっと自分の感覚に戻そうと思ったんですけど、逆にどんどん詰め込んじゃう癖が付いちゃいまして。今、まほろを読み返してみたら「白いな~」って思うぐらいに(^_^; 

まほろ前と後で全然スタイルが別なんです。なので、まほろをやっているときだったら、原作付きの方が時間がかかるって言うと思います。
稀見 :原作付きというやり方自体になれていなかったせいもありますし、逆に試行錯誤する時間がかかってしまったという事ですね。
ぢたま:あとは、一般誌なので服を着ている描写が多いんですよね、当たり前ですが。エロの時は裸率が高かったので、単純に作画の線数が増えたのかも知れません(^_^;
稀見 :あと、これはぢたま先生というよりは原作の中山文十郎先生への質問かもしれませんが、なぜ
あの時期に「メイド」だったんですか?(笑)
ぢたま:それはわかんないですね~(^_^;



あの当時の人間に言わせるとみんな同じ事言うんですよ「え、なんで今メイドなの??」って(笑) 「あれ、もう終わってるじゃん! 今残ってるのって”でじこ”ぐらいじゃん!」って言われて…。



でもよく考えてみると、あれはエロゲーの世界でメイドがガッーっと盛り上がって、それが終わってきたからそう感じただけで、実は一般に浸透し始めるのはその時期あたりからだったんですよね。
稀見 :そうなんですよ。オタク・アーリーアダプタの間と一般オタクとの間にも温度差があったんです。調べたんですが、まほろ連載開始が1999年ですが、メイドゲームなどが盛り上がったのは1996年あたりの「Piaキャロットへようこそ!!」だったんです。でも、アキバにメイドカフェができはじめたのは実は2001年を越えてからなので、そのあたりから急激に一般化し始めているのは確かなんです。

デ・ジ・キャラットのでじこ


「Piaキャロットへようこそ!!G.P.」(カクテルソフト)


ぢたま:人によって意見が違いましたね。僕のまわりにはエロゲーをやっている人間が多かったので、なんで今さら?みたいな意見が多かったのは確かですね。

自分はそんなにメイドに詳しくなかったし、自分のイメージでは「仲居さん」的な感覚だったので、そういうのに詳しい後輩にいろいろ聞いて調べました。そこでメイドさんのスカートの丈には、短いのや長いのがある!って知らされて、けど自分的には長いのが正しいんじゃないのか?って後輩に言ったら「その通りです!!」って(笑)
稀見 :俗に言う「硬派系メイド」ですね。まほろさんは長いですからね~。パンチラとかしにくいデメリットはありますが。
ぢたま:でも、まほろさんは勝手に脱ぐキャラなので、その辺は助かりました(笑)

自分から勝手に脱いでくれるまほろさん!



■自分がどういう人間かがどんどんバレていく気がして…

稀見 :今、先生の娘さんは、もう何歳ぐらいに?
ぢたま:小5と小2です!
稀見 :うわ~、一番可愛い時期じゃないですか!(;゚∀゚)=3
ぢたま:や~~もう、可愛い時期は過ぎました~。これから生意気になる一方です。
稀見 :という事は、そろそろ「もうお父さんとお風呂に入るの嫌だ!」イベントが発動した頃ですか?
ぢたま:上の子は小学校5年生なんですが、まだそんなでもないんですよ。普通に歩いていても、「おんぶ~!だっこ~」って言ってくるので、小5なのにそれでいいのか!?とは思いますね(^_^;
稀見 :娘さんは、お父さんの仕事に関してはどのくらい理解しているんですか?
ぢたま:マンガ描いているぐらいしか理解していないと思います。うちにマンガ置いていないので…。基本的に自分のは読ませてはいないんです。ただ「まほろまてぃっく」をやっていた頃はうちにグッズとかあったので「メイド」というものを覚えたらしく、幼稚園の頃に将来なりたいものに「めいどさん」って言ってましたし、雑誌とかにエプロンドレスが載っていると「とうちゃん、こういうの好きだよね?」って言ってきたりしました(^_^;
稀見 :娘さんは絵は描かないんですか?
ぢたま:描くけど、ヘタクソですね~~(^_^; できればオタクの世界には来て欲しくはないですね。
稀見 :それはどうしてですか?
ぢたま:理由はいろいろあるんですが、一番嫌なのは自分がどういう人間かがどんどんバレていく気がして…。
稀見 :なるほど、子供自身の心配ではなく、自分の親としてのステータスがはがされていくのが辛いと(笑)
でも、オタクと言ってもいろいろあるので、女の子だから腐女子のほうに行くかも知れませんよ!
ぢたま:カミさんがショタなんで、それはあるかも知れませんね(笑)
このあいだ芦田豊雄監督が亡くなられた時なんて、ずーっと家で「魔神英雄伝ワタル」が流れてましたから…。

「魔神英雄伝ワタル」(サンライズ)


稀見 :これからの先生の娘さんの成長がますます気になりますね(笑)
ぢたま:実は、その辺のネタをいっぱい出すマンガがこれから始まります!
稀見 :え?(;゚∀゚)=3
ぢたま:ホビージャパンのWEBコミックの「コミックダンガン」と言うのが12月にスタートするんですよ。そこで4コママンガを担当することになったんです。
(正確には、2011年12月2日創刊)


「父ちゃんはいつも仕事場」絶賛連載中!


稀見 :おお~子育てマンガに進出ですか!!
ぢたま:というか、「子育てしてない」を暴露するマンガになりそうですが(^_^;


■以後、完全版は同人誌で!!

ブログではこれでも半分以下の公開です(笑) 記事の長さで言えば、今までの「エロマンガノゲンバ」の中で最長となる収録になりました(^_^;
それほど、削るところのない面白いインタビューになっています!

というわけで、未公開部分は「エロマンガノゲンバ Vol.5」の完全版で!
(コミケ初売りですが、とらさんでは予約受付中です)

エロマンガノゲンバ Vol.5
2011年12月発行 140P 1,000円 (画像をクリックすると詳細が見れるよ!)
インタビュー特集!
  • 甘詰留太
  • 命わずか
  • ぢたま某
その他の現場!
  • トキワ荘プロジェクトに潜入!
  • 「エロチャリ」は如何にして制作されたのか?
「COMIC ZIN」さん「とらのあな」さんで委託中です。
COMIC ZIN とらのあな
※ 在庫がない場合もあります。書店委託は、定価より若干高めになります。

さだ・こーじ先生のよる「ぢたま邸訪問記」


彩也先生のレポートマンガも!


もちろん「ぢたま」先生自身のよるレポートも!


インタビュー後、参加者メンバーで近くのぢたま先生のお仕事場へ!(レポートは同人誌に収録)
その後、メンバーを追加しての打ち上げ! 寒くて、雨の強い日でしたがとても楽しかったです〜!

ピースサインをする「ぢたま」先生とその奥の「彩也」先生!



■既刊情報!

エロマンガノゲンバ Vol.4
2010年12月発行 140P 1,000円 (画像をクリックすると詳細が見れるよ!)
インタビュー特集!
  • 鬼ノ仁
  • Cuvie
  • 井ノ本リカ子
  • Benny's
  • 新堂エル
その他の現場!
  • LOファン座談会
  • ゴージャス師走ナイト
「COMIC ZIN」さん「とらのあな」さんで委託中です。
COMIC ZIN とらのあな

エロマンガノゲンバ Vol.3
2010年8月発行 140P 1,000円 (画像をクリックすると詳細が見れるよ!)
インタビュー特集!
  • 師走の翁
  • にったじゅん
  • 岡田コウ
その他の現場!
  • エロ本ができるまで(赤月みゅうと)
  • 携帯エロマンガの現場
  • 納本の現場(国会図書館に同人誌を!)
「COMIC ZIN」さん「とらのあな」さんで委託販売中です。
COMIC ZIN とらのあな
※ 在庫がない場合もあります。書店委託は、定価より若干高めになります。

エロマンガノゲンバ Vol.2
2009年12月発行 140P 1,000円 (画像をクリックすると詳細が見れるよ!)
インタビュー特集!
  • 月野定規
  • 紺野あずれ
  • 柚木N’
その他の現場!
  • 図書館の現場(国会図書館、米沢嘉博記念図書館)
  • イベントの現場(三峯徹、貧困問題)
  • 座談会(米倉けんご大好き女子座談会)
「COMIC ZIN」さん「とらのあな」さんで委託販売中です。
COMIC ZIN とらのあな
※ 在庫がない場合もあります。書店委託は、定価より若干高めになります。

エロマンガノゲンバ Vol.1
2009年8月発行 140P 1,000円 (画像をクリックすると詳細が見れるよ!)
インタビュー特集!
  • ゴージャス宝田
  • RaTe
  • みたくるみ
  • URAN
その他の現場!
  • マンガ制作の現場(みたくるみ、URAN)
  • 表現の現場(規制問題)
  • 販売の現場(漫画王倶楽部)
現在絶版中です。今のところ再版の予定はありません。


【インタビュー関連リンク】
 
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